子どもの家庭内保育、そこに私はいません
GWも最終日、
答えのない鬱なぐだぐだした記事を書きます
4/27、市の要請もあり、家庭保育が始まりました
そしてその日、扁桃炎で夫が寝込みました
完全なワンオペの誕生です
仕事をする予定が急遽お休みにしました
仕事をしたい派の私としては
口の奥が酸っぱくなるほどに嫌な選択でした
本来は昼間に私、夜に夫が働くというオペレーションで回すはずだったのに
予定が狂ったというのが大きな理由でした
こういう時、社会に生きるものとしてまた一つ死んだ感覚がします
実家やその周辺に頼れない核家族はとてもつらいという話を以前記事に書きました
ギリギリの運用で生きていて、私は普段からこの運用に不満があります
不満については定期的な家族会議で取り上げていますが
夫の「やっていける」という判断でそのままにしています
判断した本人が倒れたまま自宅保育1-3日目過ぎて
この時点で私は死にかけです
こどもと一緒にいたくない、自分主体で行動の選択を取りたい
欲求が溢れかかっているところにGWがやってきます
日中は、夫婦二人で子供を必死に疲れさせて
なんとか寝かしつけるを毎日繰り返しました
繰り返しの中にも
作ったご飯が飛び散ったり
理由もわからない癇癪に付き合わされたり
行きたくもない公園や遊びをしたり
細かいドロドロした感情が溜まっていきました
昨日流石に限界で
「もうちょっとむり」とアラートを出しました
育児に対してHP/MPはさほど減らないと自負している夫は
GW前にフォローの約束をしてくれてましたが
この時、アラートは聞き取ってもらえず
起き上がれない布団の中から引きずり出されて
公園に行きました
「さっさと帰りたい」の一心で必死に子供にコンテンツを与えます
(あとから聞くとこの時の私の様子は「楽しそうだったじゃん」とのこと)
帰宅後、昼寝の寝かしつけをした後
良くないと分かってながらもアルコールで嫌な気分を流そうとしました
当たり前ながらアルコールでは状況は変わりません
夕飯を作る時間になり、また投げ捨てられるご飯を作るのかと憂鬱になりながら作業を開始していたら
子どもがぐずりはじめました
あやしながら必死に作ったご飯は拒否されて
この頃には子どもの泣く声も映像のようにしか見えなくて
頭に入ってこなかったです
夜の寝かしつけ後、またここでアルコールを摂取します
嫌な気持ちに雲がかかるようで楽でした
しかしそこに夜泣きして起きてきた子供が登場します
このときも映像にしか見えない感覚で危機感がわかなかったです
ゲームのきりが良いところまで
放っておこうと判断しました
「なにしてんの」と夫が声をかけてきて
あぁ世界の中心は子供だったと、寝かしつけに向かいました
これが私の過ごしたGWです
私の気持ちはそこにいないし、何回も死んでます
そして悪いのも全部私です
コロナのせいにするのも都合が良すぎる気もしますが
こんな記事を目にしました
事象については激しくわかる。の一言なんですが
我が子を虐待しそうになったら、どうすればいいのか。日本アンガーマネジメント協会の安藤俊介代表理事によると、少しいらつく程度でも、不安や疲れなどのストレスがたまっていると、怒りが爆発することがあるという。安藤代表理事は「余裕がなくなると、相手に厳しくなりがち。この状況で子供の勉強が進まないのは当たり前と考えるなど、自分にも相手にも『甘くなる』ことが大切」と話す。
生存戦略として「自分にも相手にも甘くなることが大切」と上がっていて
余裕がなければ相手に甘くできないし、何いってんだこいつという個人的感想です
人間ができてないと子育ては難しいんだと
自宅保育とGWと記事を通して痛感した
できてない人間は自分を何回も殺して死んで、
終わる頃には何もない自分としてほっぽりだされるんだろうな
家庭保育&GW育児についての明るく眩しい記事が多く
情報過多で疲れている節もありますが
こんな現実もありますという日記を書きたかったという次第です
地獄という言葉で片付けられない
なんとも言えない気持ちの重さから早く開放されたい